【短編オリジナル小説】猫も大概ヒマじゃない vol.8

あの子が泣いたり、へそを曲げたり、怒ったり、困ったりしたらね、
チョコレートをあげるといいの。と彼女が言っていたのを思い出した。

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美冬ちゃんはカウンターの中、チョコレートをエプロンのポケットにしまおうとした。

「そこだと溶けちゃうんじゃない、体温でさ。しまってきたら?」
と十河さんが笑いながら言った。美冬ちゃんはコクリと頷いてスタッフルームに入っていく。

「頑張ってるよ、彼女さ」
「美冬ちゃん?」
「そ。まあ、私も人のこと言えないからさ、何とも言いにくいんだけども、明奈ちゃんと君が別れてさ、その後のこと、あまり君は知らないだろう?」
「あとから人づてで聞きました」
「そうか。まあ、君は彼女たちの人生にその後で直接関わらなかったわけだ」
「言ってしまえばそうですね」

十河さんは溜息を吐いた。

「ほんと頑張ってたんだよ、二人とも」
「言ってくれれば何かできたかもしれない」
「言えるかよ」
「え?」
「他の女と結婚するから別れてくれって言った相手に何が言える?」
「でも」
「でもじゃない。常識的に考えてごらんよ」
「はい」

私は言葉を失った。美冬ちゃんの姉、明奈が死んだという報せを人から聞いて、正直ショックだった。何で言ってくれなかったのかと思った。だがそれは彼女たちからしてみれば当然の話だったのだと私にはずっと分からなかった。そして周りからも言っていいものかどうかと判断がつきにくかったに違いない。

「彼女は、あ、明奈は、私のことを恨んでいたでしょうか? 憎かったでしょうか?」
「恨んでなかったと思います」

スタッフルームから美冬ちゃんが戻ってきた。

「恨んではいなかったですよ、お兄さんのことは」
「そう」
「はい。ただ、」

と言って彼女は言葉に詰まった。私は何を言われても受け止める気持ちでその言葉を待った。

「ただ、会いたいとは一度も言いませんでした」
「うん」
「本当は、本当は誰よりもお兄さんに会いたいはずなのにです。それ隠して、誰にも言わずに、死んだんです。姉は」
「……」
「死んだんです」
「ごめん。美冬ちゃんは憎いだろうね、私のことを」

 彼女は小さな声で何かをぼそっと言ったが、残念ながら私には聞き取れなかった。

「今は、恨んでないです」

 私は彼女が口にした「今は」という言葉を素直に受け止めた。

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