「あの、どうやら私、ストーカーされてるみたいなんですよ」と所属タレントが言った場合、事務所の人間はどういう顔をすればいいのだろうか。
静まり返る社内、テーブルに置かれるティーカップが音を立てる。
「織田」と社長の薫子さんが感情もなく言う。
「はい」と俺は応える。
「木刀持って来い」
「すぐに」
俺が壁に配置されているロッカーを開けようとすると、莉緒が慌てて止めた。
「ちょっと待ってください。大げさですよ」
「過剰防衛になりかねないか。とりあえず警察に」
「いやそれも待って下さい」
「…何か事情がありそうね」と薫子さんが言う。
こくりと頷く莉緒。事情。嫌な予感しかしていないのは俺だけだろうか。何故そんなにまで平然としていられるのか。いや、こんなことは今までなかったわけではない。突如ストーカー化する人たちはいるのだ。何度盾となって刃物を向けられたことか。…
ま、それは別の話だとして。
「実は知り合いなんです。そのストーカー」
「私たちも知っている人?」
「はい」
「聞くべきか、聞かざるべきか、それが問題ですね」
「聞いてもらうために来たんですけど」
「耳栓、どこにしまってたっけ?」と薫子さん。
「ひきだしの2段目です」と朱乃。
「聞いてあげたらどうですか?」と俺。
「でもさ、聞いちゃったら、色々やりにくくなるわよ、仕事。そう思わない?」
「ストーカーという言葉を耳にしたらもう何かしないといけないレベルの話じゃないですか?」
という押し問答を俺と薫子さんがしていると、朱乃が手を挙げた。
「私、聞きましょうか?」
「あなたが聞いて解決ができるとでも?」
「でも誰も聞かないとなると莉緒さん、かわいそうじゃないですか」
「かわいそうとか言わないでほしいんだけど」と莉緒が頭を抱えつつ言った。
「結局誰なんですか?」と朱乃が俺達の心の準備時間を軽く無視した形で聞いてしまった。
「元カレなんです、ストーカー」
「元カレ? え、輪島さん?」
輪島龍樹。俳優で、今は映画やテレビでちょいちょい見ることが増えている。確か去年浮気されて正式にお別れしたと莉緒から無理やり聞かされたのをふと思い出した。
「クリスマスに浮気されたんだっけ?」と俺。
「えーと、殴りますよ」と莉緒。
「クリスマスにやけ酒付き合わされた俺は言ってもいいじゃないか」
「しー。黒歴史です」
「輪島なぁ。最近売れてるからなぁ」と薫子さんが言うのに対して、朱乃が平然と対策を述べた。
「売れてるならこっちの勝ちじゃないですか? ストーカーしている証拠をカメラに押さえて、事務所に言えばいいんです。『バラされたくなかったら手を引け』って」
「まあそれが出来るならいいんだけれど、その事務所の社長がまた面倒くさい人間なんだよねぇ」と薫子さんが眉間に皺を作って言った。
「薫子社長とどっちがめんどくさいんですか?」と朱乃が言ったのに対して、俺は考えた。どっち。どっちもどっちじゃないかと。
その思考を読まれたのか、薫子さんは俺の太ももに何も言わずローキックをお見舞した。俺は床に崩れ落ちながら思った。
社長業をする人はキックボクシングのジムになんて通ってはいけないと。