梅雨が明けた。雨に濡れたチョコの入った袋はなんだか上げるには忍びない程度に汚れて、ボロボロになっていた。……雨め。
登校の準備を一通りして、カバンにチョコをそっと、これ以上包装紙が破れないように静かに入れた。渡す渡さないはぎりぎりまで悩めばいい。悩み悩んで、チョコのことすら忘れかけて、このままだと小学生が食べきれなかった給食の食パンを机の中に隠して忘れてしまったように数日が経過し、とうとう1学期も終わる終業式を迎えた。僕と二階堂さんはただの隣の席の人に成り果てて、会話すらうまく出来なくなっていた。このぎこちなさの原因はわかってる。僕が悪いんだ。
「ねえ、あれ渡せた?」と熊井さんに朝、ほとんどまだ人がいない教室で言われて、僕は笑みを浮かべた。それで全てを悟ったらしい彼女は大きな溜息を吐いてみせた。
「えーと、お店に放置されて雨の中駆け出して行くあなたを見送った私から一ついいかしら」
「その言葉はとても想像するに難くないけれども、どうぞ」
「このバーカ」
「はい」
「落ち込んでる暇があったら渡してしまいなさいよ」
「そりゃ渡せればいいんだけれどね」
そう言って僕はチョコをカバンから取り出した。
「こんな感じだから渡すのもちょっと躊躇ってしまって」
「ためらってしまって、じゃないよ」
「それ僕のモノマネ? 似てる似てる」
「って言ってる場合じゃない。貸してみて」
「なにするの?」
僕はチョコを熊井さんに渡しながら言った。
彼女はおもむろに包装紙を剥いて、中から無傷のチョコの入ったケースを取り出した。
「ほら」
「え?」
「こっちは傷一つない」
「でも贈り物としてこのまま渡すってのも」
「せっかくプレゼント用に包んでもらったのにね? ってバカじゃない。そんな見た目のこととか考えて受け取らない彼女でもないでしょ」
「まあ、そうなんだけどね。一応これお礼だからさ」
熊井さんはチョコを持ちつつ、少し考えていた。
「じゃあ、ちょっと待ってて。この時間ってまだ二階堂さん、登校してこないよね」
「恐らくは。結構ギリだから、彼女」
「よし」
そう言って彼女は教室を出ていき、10分ほどして戻ってくると、「はい」と言ってチョコを返してきた。そのチョコはちゃんとラッピングされ、英字新聞でくるまれていた。
「え、これどうしたの?」
「英語の田宮先生がそういう新聞読んでるの知ってたから。どう?」
「新聞で包むのは焼き芋ばかりじゃないってことだな」
「ま、多少シャレているようにも見えるでしょ」
「ありがとう。何とか渡せそうだよ」
「…よかったね。頑張りなよ」
熊井さんは言い残して自分の席へと戻って行った。
彼女は僕のピンチをしばしば救ってくれる。言わば救世主だった。
あとはこの熊井さんの優しさを無駄にしないように、二階堂さんに僕が渡せればいいわけで。果たして渡せるだろうか。頭のなかでイメトレを実施。彼女が登校する。席に着く。カバンを机のフックに引っ掛ける。タイミングを見計らって僕は「おはよう」と声をかける。「おはよう」と二階堂さんは応える。その流れで僕は先日のことには触れずに、ただ勉強を教わったことのお礼としてチョコを渡す。ここまで問題はない。……待てよ、彼女は受け取ってくれるだろうか。差し出した僕の手にはチョコ。彼女はそのチョコを眺める。受け取るための手を差し出してはくれない、なんていうケースもあるんじゃないだろうか。待て待て、どういうケースだこれは。こういう状況が生まれたらどうする。僕はどうする。…
などと悶々としていると二階堂さんが教室の入口から入ってくるのが見えた。……