物書きが生まれる過程~勉強法は人それぞれなれど~

物事には始まりがあり、方法論がある。
劇作家や小説家にもなっていく過程での勉強方法がある。

物書きという人種に憧れる人は多数いて、それにより映像であったり、文字媒体であったりで
エンタメを楽しむことが私たちはできる。

しかしそれを作っている人たちの勉強方法、鍛錬方法は人によっても違うし、時代によっても異なる。
今という時代が幸福かどうかはわからないが、ただ言えるのは恵まれすぎているという話だろう。

昔は良き手本を書き写してその流れる音を聞き、言葉を飲み込み、生きている人を理解するなんてことが
物書きの鍛錬方法だったはず。無論、先生と呼ばれる人に弟子入りすることもあった。

現代、スクールがあり、関連書籍が多数ある。
小説の書き方、脚本の書き方、小説家になるには、シナリオライターになるにはetc

それを一概に悪いとは言わないし、読んだり通うことの価値は否定しない。
そこで得られたことを存分に自分の血や肉に変えていければ道は開かれるものと思う。

ただ、方法論のマスターを目指さないで欲しい。
講座、書籍は多数あるため、ひたすら通って、読んで、インプットの繰り返し。
インプットもせずにものを作る資格なんてないと言ってもいいのかもしれないが、
才能というものはあるはずで、そして今の世の中誰しもが発信者となりうる。
価値はその作品を観た人が良し悪しを決めれば良いこと。

キャラクター、作品構成などにもセオリーがあるが、
そればっかりではない。無論、こことここを逆にしたほうが
感動は極まったろうにという構成の不得手が見えてしまうこともある。

勉強方法は人それぞれあったものを選べばいいと思う。
私の勉強方法は「観る」「読む」「想像」これに尽きる。

自身、書き方的なテキストは読んだこともあるし、参考になった本は未だに手元に置いてある。
よりもこの作家の持つ空気感、世界観、言葉の遣い方が好きだという対象を見つけることのほうが、
今の私の力になっている気はする。

戯曲であれば、「岩松了」「ケラリーノ・サンドロヴィッチ」を何度となく繰り返し読み、
舞台であれば、「ヨーロッパ企画」「大人計画」「東京セレソンデラックス」を観に行き、
小説であれば、「安部公房」「三島由紀夫」「大江健三郎」「埴谷雄高」「澁澤龍彦」を好んだ。

人生は短い。書籍は多く、すべてを読むだけの時間もない。
であれば私の人生はこの人、この作品と歩むぐらいのものを見つけて、
ひたすらにその作品に含まれている教え(キャラクターの作り方、作品の構成など)から学ぶのが
遠いようで近い道だと私は思う。あくまでこれは私のスタイルでしかないわけだが。

人生において一度ぐらい勉強し過ぎで熱が出てもいいと思う今日このごろである。

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