あれからどのぐらいの月日が経っただろうか。
お盆の上に湯呑みを3つ載せてやってくる朱乃を見ながら思い返したこと数秒。
ま、大した事じゃない。
事務所のアルバイトとして朱乃を雇うことになったわけだが、当初はお茶を入れるのも、ポットの使い方がわからずにてんてこまいだった。その頃から考えると、だいぶ進歩、いや、これは最早進化したと言っても過言ではないのではないか。
「朱乃、郵便ってもう出した?」
「とっくに出してます。他に仕事ありますか? なければホームページの更新しちゃおうかと思ってて」
「更新?」
「はい。事務所所属タレントの情報が少しだけ古くなっているようなので」
「よく気づいたな。仕事が多い人から対応はしてるんだけど、めんどくさくて後回しになってた」
「まあ、時間があれば他社のサイトも見つつ、勉強しているので」
「社長の指示ですか?」
社長の薫子さんはお茶を飲みながら首を横に振った。
「で、何か見つかったか? 自分が他の人に勝てるような要素?」
そう。薫子さんはあの日、オーディションを終えて、彼女に言った。
「あなたの強みを見つけてきなさい。そして育てなさい。
そうしたらまたオーディションぐらいはしてあげるから」と。
「まだ見つけられてませんが、頑張ります! あ、そうそう。
櫻井さんから先程電話があって、ちょっと事務所に寄りますだそうです」
櫻井莉緒。うちの所属女優で、主に舞台での活動を増やしている。うちとしてはテレビにもどんどん売り込みをかけたいのだが本人が舞台でもっと演技を学びたいということなので意思を尊重している。
「用事は?」
「ちょっと相談したいことがあるそうですよ」
「相談ねぇ。社長、何か聞いてます?」
「まったく。それよりさ、なんで彼女ここで働いているんだっけ?」
俺はポカンとして薫子さんを見ていた。
「なによ、その顔?」
「いや、社長が言い出したんじゃないですかって顔ですよ」
「そう。私が言ったの。じゃあ、しょうがないわね」
えー、それでいいんですか、とは思ったが時折彼女は何も考えずに行動したり発言したりする。だから振り回されて、振り落とされて、事務所を辞める社員、タレントが少なからずいるのは事実である。
ほどなくして、莉緒がそこで買ったというスイカと共に現れた。表情から暗さは見られない。いつもの彼女だ。
「あ、朱ちゃん、これ冷蔵庫にお願い」
「わぁ、ありがとうございます。スイカ、おいしそう」
「カットされていない状態のスイカを見ておいしそうって言う人、初めて見たわ」
「そうですか?」
スイカを朱乃が給湯室に持っていくのを見送ると、薫子さんが口を開いた。
「で、相談があるんだって? なに、辞めたくなった?」
「違いますよ。全然。私にはここ、合ってるって思ってますから」
「ならいいけど。で、なに?」
「まあ、ちょっとトラブルっていうんですか? どうしようかなって」
「もったいぶらずに言いなさいよ」
と薫子さんに追及されもじもじとしている莉緒。朱乃がコーヒーカップを3つ運んでくるのが見えた。
「あの、どうやら私、ストーカーされてるみたいなんですよ」