【短編オリジナル小説】猫も大概ヒマじゃない vol.9

お店の中は私達の気まずさを反映するように暗く、じめっとして居心地が悪かった。

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そんな空気を察してかマスターの十河さんがパンッと手を打った。

「はいっ! 切り替えようか、そろそろ。美冬ちゃん、いつもの作って、晋太郎さんに出してあげて」
「あ、はい」

私は『いつもの』が出てくるまではこのお店を出て行くことが出来なくなった。正直なところ『パンッ』と手を打たれても私の心は切り替えられずにいた。

妻のこと、元カノのこと、美冬ちゃんのこと。私の知らない彼女たちの心、生活、そして最期。切り替えようとすればするほどに色んな映像が頭に浮かぶ。実際にあったこと、あったかもしれないこと、言われたこと、言われたような気がすること、鮮明な記憶、曖昧な記憶。

「さっきはごめんね」

と突然十河さんが言った。

「なんですか?」
「いやさ、何か色々言っちゃって?」
「全然、言われて当然ですから」
「十河さん、優しいから」
「なにそれ?」
「いや、本当だったらもっと言ったっていいのに、言葉選びつつ、抑えてるから」

再び沈黙が店内に充満した。
美冬ちゃんの調理をする音だけが響く。

「晋太郎さんはさ、不思議だよねぇ。優しい人なのに超がつくほどの鈍感だから人を傷つけたとしても気づかないなんてことがあるって」
「明奈ですか?」
「情報源については黙秘します」
「私は優しくなんてないですよ。ただ人付き合いが苦手でお人好しを演じているだけです。つまりはただの鈍感男ってことです」
「そう自分を卑下しなさんな」

十河さんは頼んでもいないのにカクテルを作って私の手元に差し出してきた。きっと飲んでも飲まなくてもお金は取られるのだろう。

「お兄さんは、優しいですよ。ただ気が回らないんだと思います」
「気が回らないって言い得て妙だねぇ」
「でなければ、奥さんとすんなり別れたりしません」
「怒ってるよ、彼女」
「怒ってません」
「怒ってるじゃない」
「だから怒ってません。冷静です。沈着です」
「それが怒ってなかったら誰も怒ってると表現できる人はいなくなってしまうよ」

という美冬ちゃんと十河さんのかけあいをどうしても当事者として見つめることが出来ず、第三者として眺めてしまうあたりが気が回らない人間と言われる所以なのだろう。明奈にも言われた気がする。何とかその時のことを思い出そうと二人のことはひとまず遠くに追いやって、集中した。過去の、あったはずの、明奈との会話を。

「あなたは人の気持ちに無頓着すぎる」
「そうかなぁ」
「無頓着よ。無関心よ」
「そこまで言われるようなことしたかなぁ」
「認識していないってのが厄介なんだわ。反省がないからまた同じような事が起きる」
「じゃあ言ってみてよ。僕がやってしまった無頓着で無関心な出来事を」
「私、指!」
「ん? 君が指ってなに?」
「分からない?」
「言っている意味が全く」
「ほら、これが無頓着よ」
「ごめん。え、なに? ホントにわからないんだけど」
「私の指、絆創膏」
「ああ、絆創膏。え、どうしたの、それ?」
「怪我したの。夕飯作っててうっかり包丁で」
「大丈夫?」
「違う!」
「え、何が?」
「私が言う前に気づくべきよ。多分あなたは気づかなかったでしょ。私がさんざん絆創膏をアピールして、変に指を見せていたのに。なんか今日指をよく見せてくるなぁとか思わなかった?」
「どうだろう。思った気もするけど、うん」
「いいえ。きっと思わなかったのよ、あなたは」
「断定されてもねぇ。いや、ごめん。悪かったよ。今度からは気をつけるからさ」

あの日、明奈は怒り続けた。よくもまあ疲れないなぁと思いながら見ていた自分のことを思い出す。なるほど。でも無頓着、無関心とは異なるのではないだろうか。私はあくまで言われれば、あっちゃー、とは思うのだ。今度はしないぞと決意するのだ。ただ気づかないだけなのだ。

「どうぞ」

そう言って美冬ちゃんが作ってくれたのはチョコレートと果物をクレープで包んだスイーツだった。

「ありがとう」
「お兄さん、今度、」

と言って口ごもる美冬ちゃんの言葉をスプーンを止めて待つ。

「今度、お姉ちゃんのお墓参りに付き合ってくれませんか?」

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