電車に乗ると所謂狛犬ポジションと呼ばれているドアすぐ横の場所に二階堂さんは立っていた。
二階堂さんは決してあだ名でもなく、名前でもなく皆から「二階堂さん」と呼ばれていた。そう呼ばなくてはいけないオーラを彼女はフルに発散していた。
同じクラスで、彼女の右隣の席に座っている僕はかなりそのオーラを受けており、「二階堂さん、二階堂さん」と呼び続けている。まあ、彼女の名前の漢字が読めず呼ぶことが出来ないわけじゃない。ただ、少なくとも花子とか晶子とかいう漢字ではない。この漢字検定1級を持つ僕にすら読めな……まあ、名前の話はいい。大して重要ではないのだ。
二階堂さんは窓の外を涼し気な眼差しで見るともなしに見ていた。中吊り広告を見るでもなく、人間観察をするわけでもなく、ただ窓外の代わり映えしない景色を眺めていた。
きっと彼女は僕に気づいていないだろう、という事実は少しだけ寂しい気持ちがした。
外の夕焼けが一層その気持ちに拍車をかけた。
僕が一方的に寂しい思いをさせられていると、二階堂さんが動いた。
右手を半分開いた状態だったスクールバッグに「ボスッ!」という音をさせて突っ込み、中からビニール袋を取り出しかと思うと、思い切りその中に自分の口を突っ込んだ。……えっ?
一瞬自分が何を見ているのかわからなくなった。彼女だぞ。二階堂さんだぞ。
コンビニのビニール袋に手を突っ込むところ、間違えて口を突っ込んだとでも言うのか。
そんなミスを彼女がするはずがない。であればこれはなんだ。なんだというのだ。
興奮しすぎた自分に「どうどう」と言って落ち着かせ、もう少し様子を伺うこととした。
そしてしばらく眺めていた僕はあることに気づいた。
彼女は何かを食べている、ってことに。
何だ、何を食べているのだ、そもそもそういう食べ方はありなのだろうか。
電車の中で食事。注意すべきか。
彼女の行動が気になり始めた大人が、ちらちらと彼女に気づかれないように見ては、視線をそらすを繰り返していた。そんな汚い目で彼女を見ないで頂きたい。
仕方がない、ここはクラスメイトとしてひとつ注意をしよう。
「二階堂さん、電車の中では飯を食ってはいけない」と。
人を注意するのはなかなか気が重い。明日もどうせ会うわけで、むしろどうせ明日会うこともないであろうこの車両に乗っているおじさん、おばさんが注意した方がいいのではないかとすら思えてきて、席を立とうとしない彼、彼女たちに対して憎しみがこみ上げてきた。まったく身勝手な話だ。
そんなことを思っていると電車の扉が開いた。
「あっ」という言葉を口に出した時にはもう、二階堂さんは口をビニール袋に突っ込んだまま電車を颯爽と下りていた。
再び電車が動き出す。
その場に残されたのは僕が上げてしまった「あっ」という誰にも辿り着かない言葉のみだった。