あの日に出来た傷は未だに私の体に残っていて、擦り傷ってそんなに治るのが遅いんだっけ、これが年を取ったということなのかしら、と馬鹿なことを考えながら通学する私。
教室に入ると真っ先に目に飛び込んできたのはタカナシくんの姿と、その横にいた熊井さんの姿だった。なんでだろう、一気に気が重くなる。
私が席に向かうのと熊井さんがその場から離れるのがほぼ同じで、私は席についてカバンを机の横にあるフックにかけて一息つく。終業式。何かが始まろうとしていたのに、何も始めていない私。そしてタカナシくん。
「おはよう」とタカナシくんが声をかけてきた。
「おはよう」と返す私。
話は膨らまないし、どちらも膨らまそうという努力を怠っていた。
「あのさ、これ」
そう言ってタカナシくんは英字新聞で包まれたものを渡してきた。
「なに?」
「いや、渡そう渡そうと思っていたんだけれどね、つい渡しそびれて。勉強を教えてもらっていたお礼です」
「いいのに。そんな」
「まあ、さ。僕の気持ちだから」
「タカナシくんの気持ち?」
「あ、えーと、変な意味じゃなくてね」
「…うん。ありがとう」
私はそのタカナシくんの気持とやらを受け取り、包み紙を取った。チョコレートだった。小さな正方形の表面には様々な絵柄が描かれていた。
「おいしそう」
「多分おいしいよ」
「多分?」
「味見してないんだ」
「そ。でも嬉しいわ」
「喜んでもらえてよかったよ」
「タカナシくんってこういうの選べる人なんだね」
「え?」
「いや、勝手な思い込みだけれど、女の子へのプレゼントとか出来なさそうだなって思ってたから。あ、ごめん」
「いいよいいよ。ほんと、それ当たってるから。だからさ、熊井さんに付き合ってもらったんだ、実を言うとね」
なるほどね、熊井さん、か。…どおりでさっきからちらちらとこちらの様子を伺っているわけだ。
「熊井さん」と私は視線を送ってきた瞬間を見逃さずに声をかけた。「ちょっといい?」と言って彼女を呼んだ。熊井さんは「?」という顔を浮かべてこっちに歩いてくる。別に取って食おうとかじゃないんだから安心してほしいわけだけど。その表情の固さには吹き出しそうになった。
「なに?」
「これ、熊井さんが選んでくれたんでしょ。ありがとう。ってあなたにも言わないとと思ってね」
「別に私は大したことしてないし」
「それでもね」
私はチョコレートをそそくさとひきだしにしまいかけてから、
「あ、みんなで食べようか?」
「独り占めしてくれていいよ」とタカナシくんが言う。
「じゃ、あとで」
今日は終業式。明日から夏休み、か。
「タカナシくんって夏休みの宿題っていつまでにやるタイプ?」
「2学期の始業式から最初の授業がある日までに」
私は想像していなかった言葉に目をパチクリしてしまった。
「彼はそういうタイプだから」と平気な顔で言う熊井さん。
「そうなんだ。じゃあさ、7月中にどこかで集まって一緒に宿題やらない?」
「宿題……この暑い夏に?」
「暑いとか夏とか関係ないからね。ね、熊井さんもどう?」
「え、私? なんで」
「いや、なんとなく」
「…なんとなくって」
その時、ホームルームはまだのはずだが担任の境先生が教室の入口に姿を見せた。
「おい、タカナシ、宿題運ぶの手伝ってくれ」
「名指し。仕方ないな、ちょっと行ってくる」
そう言ってタカナシくんは境先生と出て行った。
「ねえ」と見送りながら熊井さんは言った。
「ん?」
「ほんとになんとなくで誘ったの?」
「どうして?」
「ううん。特に意味があって聞いたわけじゃないわ」
と言いながらも彼女は懸命に私の表情から答えを読み取ろうとしていた。
私にも何故彼女を誘ったのか分かっていないというのに。