劇団皇帝ケチャップとは?

劇団について

架空劇団皇帝ケチャップと銘打って主宰一人、劇団員0人で発足したのが2013年1月31日。当初は公演を行う団体ではなく、脚本家を集めて、作品を公開するようなサイト(コミュニティ)を作ることを想定していました。公演の打ち方も分からなければ、音響、照明といったスタッフとも繋がりがなかったので「公演」がそもそも出来るとは思っておりませんでした。

その後、徐々に協力者が集まり、いつの間にか、公演を打つ団体、「ビジネスとして演劇をやろう」という意識に変わり、しれっと『架空』の文字を外すこととなります。劇場を予約して、勤めていた会社も辞めて、出演者オーディションを行い、手探り状態のまま、後戻り出来ない状況に自分を追い込みました。

『楽しめる会話と非難されすぎない変わり者』に光を当て、『ライトノベルの舞台化』を目指した作品作りを行う。また文字情報の多さという点では役者の負担は大きいように思うが、変える予定もない。その「情報量を上演時間内に」クリアすべくセリフスピードを上げて、体の動きをそれに合わせていくという稽古を行う。

時として「これは長台詞ではないと言ったら怒りますか?」と3ページぐらいに渡って台詞が書かれているものを指し示して、役者に伝えることもありますが、いつ怒られるかびびりながらも稽古を行い、完全に役者が覚えたあたりで大幅に削りますと言い始める。いつ刺されてもおかしくはないので何度ももうこういうことはやめようと思いながらも今に至っている。

現在はスタッフ、出演者に関しては公演があるごとに呼びかけるプロデュースユニットという側面が目立っていますが、特段「劇団」という看板を下ろす必要性は感じていません。その時々、協力して下さる方々、観に来られているお客様、一括りで「劇団」と勝手に考えているので。

ビジネスとしての劇団運営

まずどのような言葉を使っても、我々コンテンツを作る側にとって、お客様に観劇して頂いてこそ続けていける、新作を書き下ろす事ができます。お客様に頂くチケット代、そして叱咤激励によって生かされ、成長する機会を頂けております。ありがとうございます。

創作物に関しては好きか嫌いか、合うか合わないかによって、続けて観る人もいれば、立ち去る方もいるかと思われます。前回は良かったけれど、今回はごめんなさいという方もいらっしゃると思います。

個人的な意見にはなりますが、それは至極真っ当な話だと私は思います。私も安部公房が好きだとか、大江健三郎が好きだとか公言しておりますが、全ての作品が好き、合うわけではありません。作品によりけりです。安部公房作品においては未だに不快感が先行して読むことが出来ない作品もあるぐらいですから。

但し、勿論書き手、作り手、演じ手としては品質を落とすことなく、自分たちが納得するもの、観にいらした方が楽しめるものを作る責任があります。ただその想いの強さがお客様に押し付けるものとならないように注意していきたいです。「面白いから絶対観に来て下さい」とは軽々と口には出来ません。面白いかどうかはお客様が判断される感情ですので。創り手としては、「こういうシーンがあるので観てほしいんですよね」とか「この人にこういう役、こういう言葉を言わせたら面白いかなぁと思ったんですよねぇ」とか、実際に創る側が感じたこと、思ったことを素直に具体的に伝えることは出来たとしても。

うちとしてはお客様を囲い込むような真似は致しません。その作品が楽しめそうな方に届くよう宣伝を行い、劇場に足を運んで頂くことを念頭に日々、創作や稽古に励みます。

1年目~2013年「わからないなりには動けた日々」~

渋谷にあるインターネット会社に勤めていた吉岡克眞が、思い立ったように会社を退職し、演劇関係者との縁を求めて、映画のエキストラをやったり、舞台のアンサンブルをやったりしつつ、着実に公演に向けて、あっているのか間違っているのかすらわからないものの、ひたすら活動を続けた。

旗揚げ公演では、『金庫に籠城した工場長を救おうとする強盗たちの話』を思いつくのもそういった日々を過ごす中でであった。
※なお、その内容の作品は未だに上演されていない。理由は「金庫が開かなかったから」。

2年目~2014年「年2.5公演、あるいは2.8公演ぐらいの活動」~

旗揚げ公演の年はひたすら書き続ける、公演を行うことを目標に台本を書き終わらない中で、次の劇場を確保、そのまま稽古に突入、公演期間突入間近で台本が書き上がるという日々。ひたすら出演者に迷惑をかけ続けた。旗揚げの作品はラノベテイストでキャラクターを押し出したものとなったが、第2回では池袋演劇祭に参加するということもあって、『ドラマティックな物語』を題材に作品を書き起こす。静岡公演では、帰り道に立ち寄った海辺に落ちていた汚い木の棒を拾い、持って帰ってくる。その棒は後日第3回公演の小道具となったことはあまり知られていない。

4月 旗揚げ公演『フランスパンは凶器になりますか?』 シアター風姿花伝
9月 第2回公演『水面の月、揺れる、揺れる』 北池袋 新生館シアター ※第26回池袋演劇祭参加
11月 合同公演『オレンジジュースに罪はない』 テルプシコール
12月 静岡公演『オレンジジュースに罪はない』 Live Bar “ZOOT HORN ROLLO“ ※単独、静岡での短編公演

3年目~2015年「演出を外れて」~

千代田区より日曜青年教室に向けて楽しめる作品(歴史モノ)を書き下ろしてみませんかというお話を頂いたことをきっかけに創作するものの、いつしかそれは歴史モノではなく、ファンタジー的なノリの発明家の話になっていった。第4回「龍宮の庭」では初めて100席を超えるキャパの劇場を借りることとなったが、主宰の吉岡が忙殺されるという事態に。初の外部演出、初のダブルキャストによる劇団本公演を行う。また演出から圧倒的な悲劇を書いてほしいと言われて書き上げたのがまさかの浦島太郎伝説をモチーフにした当作品である。一部の出演者からは初稿がやりたかったと言われたもののそれがどういう話だったかを書いた本人は既に忘れており原稿も残っていないようだ。

2月 第3回公演『さくらさくらさくら~うちの長屋(バカども)を紹介します~』 新宿ゴールデン街劇場
8月 第4回公演『龍宮の庭 A班/B班』 萬劇場 ※初のダブルキャスト

4年目~2016年「既存作品の難しさに触れて」~

既存台本をもとに演出に専念することが演出技能と作家としての技能を伸ばすという話を聞いての企画公演。既存台本ということはオリジナルがあり、オリジナルとは違うものを作り上げる必要があったが、常に演出、役者ともに、オリジナルの面白さに引き寄せられていたのも事実。既存台本(オリジナルを観ている)をやる難しさがあった。

この年は劇団の仕事をセーブして、演出助手、オリジナル怪談で怪談師、他団体への作品提供、日本コメディ協会公演での演出などと仕事の幅を拡げ、視野を拡げた。ただ、この年をきっかけに主宰吉岡自身の劇団公演に対するモチベーションが下がっていくことに繋がった。

2月 第5回公演『No Art No Life』 シアター・バビロンの流れのほとりにて ※作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

5年目~2017年「2作品同時上演」~

どういう経緯だったかは不明だが、2作品を書き起こすこととなった。『春』を先に書き終え、余裕があるならもう1作品書いたらどうだろう、みたいな助言をされたのかもしれない。かくして『春』の前日譚である『夏』が生まれる。ただ、この公演自体が主宰の劇団での公演活動に対して再び前向きに、意欲的にさせるきっかけを与えるものとなった。

1月 第6回公演『春。いつかの雨の匂い』/『夏。つかの間の虹』 萬劇場

6年目~2018年「劇団初の短編集公演」~

この数年は年1公演というのが習わしになっていたが、劇団として初めて浅草、出来て間もない劇場で公演を打つことに。制作、舞台監督共に初めてのチーム体制で臨み、4作の短編から成るオムニバス公演を実施。実質4つの座組が生まれ、2ヶ月程度休みなく稽古に参加する演出のスタミナ切れが懸念となったが、千穐楽までもったことは奇跡だった。ただこの経験から、より短期間の稽古で本番を迎える体制の構築、仕組み作りが必要であると再認識するに至った。

3月 第7回公演『ソノ先に在る、あるいは居るモノへ』 浅草九劇

7年目~2019年「2公演の年、きっちりしっかりと劇団の仕事に向き合う年」~

4年ぶりに年2公演を行う2019年の1本目『私の娘でいて欲しい』は、タイトルから漂っている「悲劇的なドラマ」ではなく、書き始める前から『ただ笑える話を書きたい。それはコメディ、喜劇と呼べなくともいい』というのが作家の頭にあった。しっかりと笑えるものを作ってから自身の根底にある『悲しみ、空白、虚しさ』などと改めて向き合い、自身の創作する方向性などを見極めたいとして2019年上演作品を選ぶに至った。席数100前後の浅草九劇で劇団として2回目の公演を行う。

そして12月には178席と1.78倍のキャパの劇場、中野ザ・ポケットへと場所を移しての公演にチャレンジ。生老病死を考え、不老不死の研究所に生きる人々にフォーカスした物語、『何も変わらない今日という日の始まりに』を上演。どこか不穏で、切なくて、悲しくて、何故か懐かしくもある空気を漂わせた作品に仕上がる。

今後は年2回、3回と公演数を増やし、演出を外部から招聘して更に多くの公演を行うことも戦略として考えながら、『ビジネスとしての演劇』が雇用を生み、『健全な組織運営、経営』の道を進んでいくための『挑戦と変革』を当劇団はやめない。という決意をするものの、翌年、あれがやってくる……。

8年目~2020年「コロナ禍における演劇とは」~

2020年は前年同様2公演を準備していた。その中でコロナの流行である。緊急事態宣言の発令があり、自粛を余儀なくされ、劇団としては5月公演の延期を決定した。旗揚げ以来初の中止・延期である。楽観的には考えられない状況が続く中、否が応でも次の公演の時期がやってくる。延期によるダメージも癒えることなく、ただただ不安だけが蓄積され、観劇される側、舞台を作る側、共に暗闇に突如放り込まれた、そんな想いを抱えつつ始まった9月公演稽古。

稽古場の密を避けるためにぶつぎりになった稽古スケジュール。手指消毒をし続ける役者、スタッフ陣。稽古場の消毒。毎日の検温。対策は日々、着実に行われた。演出も距離が近い、離れてという得体の知れない言葉を吐き続けてはメジャーで椅子と椅子の距離を稽古前に確認し、ここに立てば1メートル、2メートルという間隔を作れるのかなどとぷつぷつと独り言つ。

いつまでこういう時期が続くのかはわからないものの、昨年とは確実に何かが変わり、そして戻らないものもあるのだろうと誰もが考えていた。しかし、作り手がやれることは決まっている。どんな制限があろうと、どんな状況下に追い込まれようと、楽しみにされている方に楽しんで頂く、そういう根本的な事は変わらない。21年、希望がそこに在ると信じて。

9年目~2021年「コロナ禍における演劇とは(2年目)」~

2021年になりコロナ禍で演劇を行うにはどういう体制が、どういう対策を行っていくのか、昨年よりも理解を進めて行った2公演だった。されど他の団体と同様に出演者、関係者に感染者、濃厚接触者の確認がされた段階で公演中止・延期になることは公演主催団体としては肝を冷やすに日々が続く。結果として2公演を行うことができたとは言っても出来ない可能性は依然として払拭されない。周りでは上演できた団体もいれば出来なかった団体も多い。

ひたすら出される緊急事態宣言にまん防と、上演時間やタイムテーブルを調整しながら進む。演劇、舞台、演技、作品にと集中したいがそうも言っては居られない社会情勢。いつまで続くとしれない終わりのない日々。それでもお客様が劇場に足を運んで頂ける姿を見るたびに、感謝。

公演としては長年やってみたかった時間モノと音楽劇を上演できたこともあり、チャレンジングな一年だったと言える。

10年目~2022年「コロナ禍における演劇とは(3年目)」~

いつ終わるともしれないコロナ禍に悩み苦しむのはあいもかわらずで、出口を探しながらも藻掻く日々は続き、劇団として無事誰一人欠けることなく上演できたことは奇跡だと思う今日このごろ。中止や延期というリスクを伴いながらも出演者、観劇頂いた皆様においてもきっと大丈夫、必ず上演できる、されるはずという想いのままにお付き合いいただけたこと感謝です。

作品としては「選いつ」までは2020年より続けてきた換気のための休憩ラジオ(通称換気ラジオ)の時間を10分程度設けてきましたが、感染症対策の変化もあって「あな空」からはラジオを外しています。その分、多少は上演時間が短くなりました。作劇という観点からは「選いつ」は青春群像劇として、「あな空」は天使とかが出てきてしまう少しファンタジーな仕上がりの「別れ」をテーマとする作品に。劇作家としてはこれを書くというものがあるものの、これじゃないと書かないはなしにしたいという考えを旗揚げ以来考えており、前回こうだったのに今回こうなのねという裏切りも多々あります。そういうシェフの気まぐれサラダのような作品(?)の出し方に翻弄されつつも観ていただける人をこれからも楽しませたいという気持ちのみ。2023年は劇団創設から10年が経過します。その1作目がこれでよかったと思える作品を用意しており、秋公演では2019年上演した「私の娘でいて欲しい」の再演(リブート版)が控えています。コロナ禍が完全に終わったわけではない中で演劇を続けていく意味と向かい合いながらも2023年も2つの作品が上演できるために行動していきます。

11年目~2023年「コロナ禍が与えたもの」~

コロナ禍が終わったとも終わっていないともそれは公言憚られるお話のような気もする。誰も彼もが何となく有耶無耶のうちにしているような気もしており、日常を取り戻した空気にしようしようと努力していて、でも果たして本当にこれが日常かと言えば明らかに2019年とは違う景色が其処にはある。稽古場、劇場、配信、考えることは多々あり、その変化は残ったりするのではとも考えています。人と会う機会も徐々に増えてきたのは恐らくは2020年~2022年と2023年では違うのかもしれない。

2023年の1本目は旗揚げ10年を経過した作品となります。団体の傾向として長台詞が特徴ですが、それが多い作品で、観ている人が疲れないかということもやはり気にはなるところだったりします。妄想癖の強い女の子の復讐劇である「虚しさだけがいつも傍にある」について考えると、過去作品でも妄想の人物に近い存在は出ていたので、これもまた特徴の一つなのかもしれない。日常を描いている中で当たり前のようにその場にいる幽霊、天使、アンドロイド、未来人etc、etc

2本目はその手の存在が一切出てこない日常、家庭を描いた2019年初演の「私の娘でいて欲しい」の再演です。もともとこの作品を書いた時、自身の経験を少し詰め込んだりもしたものの、再演(リブート版)で書き直すならもう少し自分とは離してキャラや物語を書き直そうという企みのもと作り上げました。きっと今後もリブート版と称される、あるいは再演ですと発表した場合、初演を観た方は、きっと違う作品ぐらいに変えてくるんだろうなと思っておいてもらえたらと思います。

2024年は旗揚げ公演からはまるっと10年が経ちますので、改めて次の5年10年を見据えた作品づくり、体制を整えていきたいと願いつつ。出演者に劇団員がいない期間も長くなってきたので、劇団員募集なんてこともやっていい時期なのかもしれないですがこちらについてはノープランです。ただただ、演劇、小劇場がより身近になるような働きをしていければと。