【短編オリジナル小説】爽やかな朝だから君の牛丼が食べたい

朝。寝ぼけ眼で食卓に来るとコーヒーカップが置かれている。
ああ、タイミングよく妻が出してくれていたのかと思いつつ、一口啜る。

妻が台所から顔を出したので「おはよう」と声をかけるが彼女の顔は曇る。その視線の先には僕が持っているコーヒーのカップ。大体誰がどのマグカップを使うかなんてことは決まっていて、でもコーヒー用白いカップは見分けがつかないのだ。

「それ私の」
「あ、ごめん。飲んじゃった」
「別にいいけど。いやよくないけど。なんでもあなたのものじゃないんだから。ジャイアンになってほしくないな」
「ジャイアンがいけないやつみたいな言い方はやめようか。彼だって嫌われるために生きているわけじゃないんだから」
「朝から何ジャイアンについて語ってるの。語りたいの?」
「そういうわけじゃないけどさ、君が言い始めたことじゃないか」
「やめましょう。これ以上やると喧嘩になる」
「そうだね」

彼女は、僕の妻は喧嘩が嫌いだ。それは何でだろうかと聞いたことがある。その時々回答が違うから僕もどれが正しいのか分かってはいない。思うに、彼女は行為の先にある無が嫌いなんだろう。

「朝ごはん、何にする?」
「それは僕に聞かれても困ってしまう」
「なによそれ。わかった。なんでもいいのね」
「なんでもいいってわけじゃないけどさ。指定したらそれが出てくるってわけでもないだろう?」
「言ってみたらいいじゃない。何が食べたいのか」
「牛丼」

彼女は僕の回答を咀嚼しているようだった。

「牛丼?」
「そう」
「あの吉野家とか松屋とかで食べる?」
「そう。まあ最近は色々とメニューが増えてるから一概には言えないけど」
「その牛丼を朝から作れと」
「いや、なんとなく今日はそういう気分だったってだけで」
「お店に行けばって思うけどね」
「僕も『牛丼』って言いながらそれはお店に行って食えよって思い始めたけどさ言ってしまった以上はひっこめるのもなかったことにするのも無理だなって」
「聞いてしまったからねぇ」
「でしょ」
「冷蔵庫、確認してくる。材料があればなんとか」
「うん」

僕は妻がキッチンへ引っ込むのを見送ってから再び妻のコーヒーを啜った。そんな土曜日が始まろうとしていた。始まった土曜日はゆっくりと時を刻み、ゆっくりと終わり、そして日曜日が来る。

僕はソファに座り、リモコンでテレビをつける。チャンネルを変え続けては見たものの、見たい番組は何もやっていなかった。そう、それが土曜日。

カーテンは開けられ、微かに開いている窓から風が忍び込んでいた。夏も近いが心地よい朝だ。

「無理ならいいよ」とキッチンに向かって声をかけたが、
「うーん」という唸るような妻の返事だけが聞こえるだけで、キッチンで何が起きているか僕にはわからなかった。今のうちのキッチンの方がテレビ番組より面白い中継を期待できると思うと笑えた。

朝。爽やかな朝。
僕はコーヒーを飲みながら、妻の牛丼を待つ。

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