【短編オリジナル小説】きょうの二階堂さん、きのうのタカナシくん vol.39(全42回)

放課後、僕は熊井さんに屋上に呼び出された。さっきのことを怒っているんだろう。そして二階堂さんはそのことを怒っているんだ。

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9月になって日が落ちるのが早くなったように感じた。空が暗くなればなるほどに街の明かりが目立ってくる。空と大地がひっくり返ったようだ。

「ごめん、放課後に」と熊井さんはカバンを持ち、笑みを浮かべながら屋上にやってきた。このまま用事が済めばすぐに下校出来るという、なんと準備がいい子だろう。

どうやらいくらか機嫌を直しているようにも見える。呼び出された側としては呼び出した側の機嫌が良い方が都合がいい。怒られる心配が減るからだ。

「どうせ帰った所でやることもないからいいよ」
「宿題やりなさいよ」
「夏休みの宿題やったじゃないか」
「日頃の宿題もやらないとでしょ。何のために私や二階堂さんがプールや夏祭りに行くこともなくあなたの勉強に付き合ったと思ってるんだか」

僕はうっかり夏祭りには行ったよと言いそうになり、慌てて喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。言葉を飲み込みながらどうして熊井さんにそのことを言っちゃいけないんだっけと思ったりもする。そりゃそうか。誰と行ったのと聞かれるに決まっているからだ。『八方美人』というのか『優柔不断』というのか、僕は今の状態がいいと思ってるのはいけないことなんだろうか。僕は変化を望まない。これ以上を望まない。それを許してはくれないんだろうな。誰が? 神様とか。

なんてことをぶつぶつと頭の中で考えていると、熊井さんが突然「あのね」と金網フェンスから街を見下ろしながら言った。僕は言葉を待った。

「こういう時に黙るんだよね、タカナシくんは。それって癖?」
「いや、わからない。癖かもしれないし、そうでないかもしれない」
「まあ、癖じゃなかったらそうじゃないってことだもんね。って何この会話」
「会話にもなってないね」
「うん…」

再び訪れる沈黙。僕はこの会話の中に生まれてしまう静けさがあまり好きではない。あまりというか、どちらかと言えば苦手で、嫌いな方だ。しかし、その時僕は、直感とでも言うのか、口を開いたら何かが壊れるという気配を感じていた。

どのぐらいの時間が経過しただろうか、熊井さんが徐ろに口を開いた。

「中学の時にね、私、好きな人がいたんだよね」
「突然だねぇ」
「突然と、勢いでしか話せないでしょ、こんなこと」
「一理ある。でもどうしてそんな話を?」
「そんな話、ねぇ…タカナシくんにとっては『そんな話』に過ぎないけど、私にとっては」
「ああ、ごめん」
「…好きな人がさ、すっごく鈍感で、どんな合図を送っても全くと言っていいほど私の気持ちわかってくれなくてね」
「それは、残念な人だね」
「でしょ。だから私ね、これならどうよと思ってね、その人と同じ高校を受験して見事いまその人と同じ高校に通ってるのよ」
「そこまでやるかぁ」
「そこまでやるわ。でもね、その残念な人はね、私の気持ちにも気づかず、『え、なんで居るの』って言ったの。私をこの学校で見つけて」

僕は彼女が、熊井さんが何の話をしていて、誰の話をしているのか、気づきたくなかった。でももう、僕は気づいてしまった。それは僕の話だ。

「私はずっと待ってるの、その人が私のことを好きになるのを。これって悲恋だと思う?」
「どうかな。わからないよ、先のことは」
「それは、待っていてもいいってこと?」
「僕に聞かないでよ」
「でも貴方はもう気づいている、私が誰のことを言っているのか。だから必死になってごまかしてる。そうじゃない?」
「あのさ。僕は何かを選ぶとかしたくないんだ」
「タカナシくん、私は」
「だから、ダメだ、それを言ったら。もう後には戻れなくなるんだよ」

話しながらも僕はまっすぐ彼女のことを直視できず、地面やら空やら視線の逃げ場所を探した。

「逃げないでよタカナシくん!」という熊井さんの声で僕は彼女を見た。
両手の拳を握りしめ、彼女は静かに泣いていた。罪悪感だけが僕の胸中に拡がっていった。

「ずっと、中学の頃から、貴方のことが好きでした」と熊井さんは涙を拭うこともなく、笑って言った。その笑顔はとてもかわいくて、もしももっと前にその言葉を聞いていたら、と思いながら、自分の中で一つの答えが出ていたことに今更ながら気付かされた。

「熊井さん。とっても嬉しいし、ずっと好きでいてくれてありがとう。でも、ごめんなさいって言わなくちゃいけない」
「わかってる。うん、もういいよ。言わなくても」
「うん」
「だってごめんなさいって言っているだけなのに、なんで泣いてるのよ、タカナシくんまで」

熊井さんに指摘されるまで自分が泣いていることに気づかなかった。好きだと言ってくれている子に「ごめんなさい」って言うことがこんなにも辛いことだなんて知らなかったし、とても楽しかったんだ、熊井さんがいて、僕がいて、そして、そして、二階堂さんがいたあの時が。

「言っておくけど、私、すっごくモテるからね」
「え?」
「だから、もしもタカナシくんが好きな人に告白してフラレてもね、私もう別の人見つけてるかもしれないからね」
「うん」
「後悔してももう遅いんだからね」
「とてつもなく後悔しそうだ」
「だから私たちは今日から友だち。これでいいよね?」
「もちろん」
「ありがとう。…じゃあ、さっさと教室に戻りなさい。きっと彼女、待ってるだろうから」

「どういうこと?」と聞こうとした時には熊井さんはもう屋上のドアを開け放っていた。
「また明日ね、タカナシくん」と言ってスカートを翻し、熊井さんはその場をあとにした。

僕は屋上に立ち尽くしながら、暫く廊下を走り去る音に耳を澄ませていた。

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