「え、行かないの?」と社長の薫子さんが俺が電話を切ってのんびりとスイカを食べ始めたのを見て言った。そう、俺は行かないのだ。
「え、なんで行かないんですか?」と朱乃までがスイカを食べながら言い始める。もしそれを言うのであればひとまずお前は食うのをやめろと言いたい。
「え、逆に聞きたいんですけど、何で行く必要があるんですか?」
「だってねぇ」
「そうですよねぇ」
「全くわかりませんね」
「電話の声が聞こえなかったら、私も何も言わないんだけどさ。聞いちゃったから。助けてって」
「助けてって異常事態じゃないですか」
「ああ、それ。わかりました。じゃあ、輪島くんの事務所に電話入れときましょうか。助けてって言われたんですけどそっちで対応してもらっていいですか、って。彼が何処にいるかも知りませんが」
「何でそんなに冷たいんですか」
「いや、だってストーカーでしょ。うちの女優につきまとっている」
「それとこれとは別じゃないですか?」
「別じゃないよ。同じだよ。ストーカーを助けてやる義理ないよ。というか絶対めんどくさいことになるじゃない。そうなることを俺は望んでないよ。だから行かないという結論に達したわけです」
俺は再びスイカにかぶりついた。夏といえばスイカ。スイカの匂いを嗅ぐと何故かカブトムシを飼っていた記憶が呼び覚まされる。恐らく虫かごの中に食べ終わって手元に残ったスイカの皮を入れたりしていたからだろうか。ああ、懐かしきは戻ってこない小学校の夏休み。
「じゃあ、しょうがないか」と薫子社長が朱乃の皿からスイカを一切れ取り上げるとむしゃりと食べた。そうだ、俺達はカブトムシだ。変なことに巻き込まれることなく、静かに虫かごの中でスイカの皮でも齧っていようじゃないか。
「じゃあいいかで済みますか? 行かなかったら行かなかったであとで問題にされませんか?」
「なんで?」
「じゃあ、かけ直すぐらいはしませんか?」
「かけ直してどうするの? 行きませんからねって言うの?」
「そのぐらいいいじゃないですか!」
「種飛ばしながら喋るなよ」
「種ぐらい飛ばしますよ」
俺は渋々ストーカー男、輪島龍樹に電話した。すると2コール目で相手が出た。1コールで出ないところが残念である。
「あ、織田ですけど。さっきはどうも。あのさ、」
「えーと、この男と知り合いかなんか?」
というあまり聞きたくない質の声が俺の耳に入ってきた。ああ、よくないよくない。だからかけ直さなければよかったんだ。
「知り合いじゃないです、ええ」
「知り合いじゃないのに電話番号知ってんの?」
この時点で俺はイラッとしていた。何だ、この人の揚げ足を取るような物言いは。
「ええ、そうですね。不思議な事もあるようです、この世の中」
「じゃあさ、この男がどうなっても知らないってことでいいね?」
「もちろんですもちろんです。むしろ関わり合いたくないですね」
「例えばこいつボッコボコにされたとしてもいいわけね。あ、でもちょいボコしちゃったからこれからもっとボッコボコにするんだけど」
「……うーん、それはそれで別にって言いたいんですけどね、ちなみにどういう流れでその人ボッコボコになるんですか?」
「こいつ、俺の嫁につきまとっていやがったんだよ」
なるほどなぁと聞いてしまってから思った。うちの女優だけじゃなく他にもつきまとっていたか。
「まあ病気みたいなものですからねぇ」
「それで済む話と済まない話ってあるだろ」
「ありますねぇ」
「これは済まない話なんだよ」
「じゃあ、どうするんですか。ボッコボコにしたからってなにも得るものなんてないですよ」
「だからこいつに交換条件を突きつけてんだよ」
「交換条件?」
「そ。お金で円満的に解決しませんかって」
もし数分前に戻ることが出来るとしたら、俺はきっと誰がなんと言おうとも、冷血漢と言われようとも、かけ直すことはないだろう。