「元奥様がこんなところで何をされているんですか?」と美冬ちゃんは言った。明らかに喧嘩腰である。
「こんな所でって言われても、元々私もここに住んでいたからねぇ」と余裕を見せる美津。
その余裕感にイラッとさせられているのが目に見えて、私は内心そんなにぶつかる必要ないじゃないかと思っていた。
「ですから、別れた旦那の所に来て何をしているんですか?」
「頼み事。猫をね、少しの間、預かってもらえないかなって」
「ホテルに行けばいいじゃないですか」
「いいじゃない。預かってくれるって言ってるんだから。これは私と猫と彼の問題なんだから。あなた関係ないじゃない」
「関係ないですよ。…関係ないんですよ」と美冬ちゃんは同じことを二度口にした。まるで何で私はこの件に関して係わっていないのだろうかという不満を口にしたようにも聞こえた。
「そんな悲嘆に暮れる必要はないわ。私そろそろお暇するし」
「悲嘆になんか暮れてません。何で私がそんな」
「だってあなた、彼のこと好きでしょ?」
沈黙は長く、静かにその部屋に満ちていった。誰もが口を開こうとしない。開けば負けだとすら思っている。
「何を言っているんだろう、美津は」と私は口を開いた。そう、私の負けだ。あまりにも沈黙が大きすぎて、重すぎて、耐えられなかったのだ。この沈黙を引き寄せた美津はけろっとした表情で私と美冬ちゃんを交互に見ている。
「別に責めるつもりはないし。いいんじゃないの、それはそれで」
「でもさ、早いだろ、いくらなんでも」
「そ? 仕方ないじゃない、そういうのはさタイミングだから。別に私たちはもう終わってるじゃない」
「終わってるさ」
「なに、私とやり直したいとか考えてるの?」
「それはない」
「即答。ちょっと傷つくなぁ、それ」
「傷ついているようには見えないけどな」
「正解。じゃ、ほんとに私行くわ。買い物もあるから」
「ああ。駅まで送ってこうか?」
「車で来てるし。それに」と美津は言って美冬ちゃんを見た。「お客様の相手をあなたはしなさい」と言って出て行った。
「私、お邪魔でしたか?」
「別にそんなことはないさ。でも驚いた。突然来るからさ」
「まだ回答してもらっていないので」
「え?」
「え、じゃないですよ、お兄さん」
「今?」
「今じゃいけませんか? 今じゃなかったらいつまでも時間ばかりが経ってしまう。私はおばあちゃんになってしまう」
「そんなに待たせるつもりはないんだけど」
「だったら今でいいじゃないですか」
「極端だな」
「さあ、どうなんですか?」
「今ね、会社で転勤の話があるんだ」
「はい」
「まだ確定している話でもないんだけど、遠くに行かないといけないかもしれない。見知った人もいない土地に」
「ええ」
「土日とか休みがあっても出かけていく場所すらないかもしれない」
「わかりました。ついて行ってあげますよ。そうなったら」
私はぽかんとして、美冬ちゃんを見た。
「いくら言葉を並べ続けても私はもう決めているし、あとはお兄さんがどうしたいかだけなんです」
私は一体どうしたいのだろうか。明奈、君の妹から求婚されているのだけれど、どう答えたらいい。その答えは君を再び傷つけはしまいか。逡巡する私の顔をじっと見つめる彼女の目を見返して、なるようになれと思いつつ、私はこう答えた。「わかった」と。