【短編オリジナル小説】猫も大概ヒマじゃない vol.2

いつも思うことだ。手に提げている傘が邪魔だってこと。

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雨が降っているものの傘を使うのは家から最寄り駅までで、会社と駅の間は地下道を通るため傘を開くことはない。何とも忌々(いまいま)しい傘。二文字というのも気に食わないところではある。

「かさ」と口にしてみる。

私の横で私と同じように駅の軒下から雨を見上げていた見ず知らずの女性がびくっと身体を震わせて私を見るのが分かった。そして、そそくさと「かさ」をさして雨の中へと飛び出していった。そんなに不審者扱いをして逃げなくても良いだろうに。私はただ雨を見て「かさ」と言っただけではないか。

こうして雨を見上げていると飼っていた猫の姿を思い出す。名前も最早忘れてしまったその飼い猫はきっと今日も元妻の新居でいつかと同じように空を見上げているのだろう。雨が止むのを願って見上げていたのか、それともいつまで降り続くのかしらと思って見上げていたのか、さなくばもっと降ればいいと思っていたのだろうか。まあ、猫の心までは読めない。妻の心すら読めなかった私だ。……

しかし、雨が降っている日に傘を電車に置き忘れると邪魔なんて言ったことをお詫びしたいとすら思う。勿論(もちろん)傘に対してだ。キヨスクにビニール傘が売られているのが目に入る。待つか。買うか。金額を見る。

馬鹿な。あんな雨風強い日の晴れた翌朝にビニール部分が何処かに吹き飛んで骨組みだけの元傘がごろごろ転がっているようなやつが100円以上するなんて。……

私が傘を買うことをやんわり拒絶していると雨はますます強くなり、私の決心を嘲笑った。

……駅で借りるか。いや、そもそも貸してもらえるものだろうか。私のように雨の日だと言うのに傘を電車内に、駅構内に置き忘れる馬鹿者は多かろう。そうなれば忘れられた傘は駅としても保管する謂れはない。傘の主がどんなにその傘に思い入れがあろうが駅にとっては無関係甚(はなは)だしい。

よし、傘を借りて帰ろう。と踵(きびす)を返して改札口に向かった私だったが、果たして、と疑問が頭に浮かび進めた足もピタリと止まる。誰にでも貸してもらえるものか、人を選ぶのではないか、性別、年齢、職業、趣味、思想、宗教、ネコ派かイヌ派か、既婚か未婚か!……

雨は止む気配すらない。雨はコンクリートを打ち続ける。その音は不図(ふと)元妻の事を思い出させた。彼女が一度だけ傘を持って迎えに来てくれたことがあった。地面に跳ねる雨粒の様に走ってくる君の姿を、私は今の今まで忘れていた。君の優しさを。この数ヶ月いろいろとあったが、思い出の君をも嫌いになる必要はなかったのに、思い出すだけで苦しくて、苦いものが口中に拡がり、溢れ出そうになる。

「きっと世界の何処かで雨乞いをしているんですよ」

私はぎょっとしていつの間に横にいたのか声を発した女性を見遣った。

「あるいは神様が泣いているのかも。こんばんは、お兄さん」
「私は君のお兄さんではないんだけどな」

何か面白いものでも私の顔に見出したかのように微笑む彼女の手には買ったばかりで濡れてもいないビニール傘があった。

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