私とBar竹馬之友のマスター、十河さんが話をしていると、
入口の扉が開いて美冬ちゃんが入ってきた。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
という十河さんと美冬ちゃんの挨拶があり、私は彼女を見遣る。
彼女はマスクをしていて、ちょっとだけ辛そうに見えた。
「やぁ」
「お兄さん…」
彼女は微かに咳をして、呼吸音もぜぇぜぇしていた。
「え、風邪?」
「まあ。治りかけです」
「まだ休んでたらいいじゃないって僕も言ったんだけどね」
彼女がスタッフルームにそそくさと消えていくのを私は見送った。
「ねぇ、なんかあった?」
さすがの十河さん。勘が働いていらっしゃる。
「いえ、別に」
「ダメだよ、うちの看板娘に手とか出したら。離婚したからと言って。
あ、離婚したからいいのか。違う違う」
「何一人悶々としているんですか。出しませんよ。って言うか、出せません」
「ま、だよねぇ。出したら僕、手が出ちゃうよ」
「マスター」
「…なぁんちゃって。ほらおかわりは?」
「いえ、まだ大丈夫です」
美冬ちゃんが着替えを済ませて戻ってくると、私と距離を取った位置に立ったのが
やはり気になった。私達の間には十河さんが挟まれる形で立っていた。
「美冬ちゃん。もしかしてこの前、雨の中濡れて帰って風邪引いた?」
「ええ、まあ。自業自得です。お兄さんのせいじゃないんで」
なんとも突き放された感じなのは、体調が悪いせいなのか、
まだ怒っているからなのか、どちらでもあるのか、どちらでもないのか…。
「風邪引いたってわかってたらお見舞いに行ったのに。自業自得って言うけれど、
9割は私の責任でもあると思うから」
「今日は何をしにいらしたんですか?」
私の言葉をぴしっと遮る美冬ちゃん。
「うん。傘をね、返しに」
「別にいいのに。ビニール傘だし。あげたと思ってましたから」
「いや、まあさ、そこはきちんとしておきたかったから」
「そうですか。きちんとですか」
どうも攻撃的に聞こえてくる彼女の言葉。
私は彼女の視線と言葉の鋭さで切り刻まれた思いをこの数分のうちにさせられていた。
「あ、あとこれ。傘のお礼」
私はさっきスーパーで購入した板チョコを渡す。
「なんで板チョコなのさ」
と十河さんがたまらず口を挟む。
「いえ、まあ、なんでしょうね。美冬ちゃんの機嫌を損ねたら板チョコを渡すといいわって、
うん、ある人に言われたことがあって」
「お姉ちゃん?」
「………うん」
「あーー、やだな、お兄さんは、そういうの、ほんとやだ」
美冬ちゃんは手にしている板チョコを持ちながら、
静かに咳を、繰り返した。