転勤の話が会社であった日の帰り、家に帰宅すると明奈は出てこなかった。恐らく客が来ていたからだろう。「あの、何してるの、ここで?」とソファに座っている元妻の美津に言った。
「チョット待って、ほんとに何事、これは? え、鍵はどうしたの?」
と僕が動揺を隠すことも出来ずにわたわたしていると、彼女はジーンズのポケットから鍵を出してみせた。
「まだ持ってました」
「ああ」
「鍵、変えてないんだ?」
「その必要はないと思ったから」
「私が帰ってくると思った?」
「違うよ。ただほら、別に自分が留守の間に入られても君ならいいかと思って」
「そう」
「で、今日は何の用事で?」
「まあ、近くを通ったから。私たちって別に喧嘩して別れることになったわけじゃないじゃない? 円満離婚じゃない。一緒にいる理由なくないってことでいったん別れましょうって」
「そうだね。え、だから?」
「あ、勘違いしないでね。私、よりを戻そうと思って来たわけじゃないから」
私は特にほっとしたわけでもなく、落胆したわけでもなく、ただただ彼女からもう元には戻らないってことを改めて言われたんだなぁという感慨。
「わざわざそんなことを言いに来たのかい?」
「まさかぁ」
「じゃあなに? そろそろ用事を教えてよ」
「あのさ、ちょっとの間、猫を預かってくれないかな?」
「猫? どの?」
「どのって、私たちが飼ってた猫」
「ホテルに預ければいいじゃないか」
「ごもっとも。でもただで預かってくれるならそれはそれでね」
「何日?」
「5日」
「旅行にでも出かけるの?」
「まあね」
「ひとり?」
「気になる?」
「別に」
「なら聞くな」
という短いやり取りの応酬をしながら、どうしたものかと考えた。果たして5日で済むのか。あとは任せたとか言って引き取りに来ないなんてこともありうるのではないかと。
そんな私の心配を読まれたのか美津は何も聞いていないのに「引き取りに来るわよ」と言った。女というのは勝手に人の心を読む生き物だ、って死んだじいさんが言ってたな。
「5日な。それ以上は自分も無理だから」
「ありがとうございます」
「コーヒーでも入れようか?」
「あら珍しい。奥さんやってた時は入れてもらったことないのに」
「お客様だからな、今君は」
「そっかぁ。お客様バンザイ」
私がキッチンに向かおうとするとチャイムが鳴った。
「悪いけど出てもらえる? 宅配便だったら受け取って、営業とかだったら追い返して」
「お客様だよ、私」
「減るもんでもなし」
「了解」
美津が玄関に向かうのを見送って、私がキッチンでカップを棚から取り出していると、戻ってきた美津が言った。
「お客様だよ」
「え?」
美津に遅れて部屋に入ってきたのは、美冬ちゃんだった。